こんにちは!エゾシカです!!🫎
前回は、奥尻島旅行の1日目、フェリーで奥尻島に到着したとこまでを紹介しました!!
(前回までの記事はこちら)
今回は1日目の続きからです!!
▶︎第1日目
○奥尻を駆る相棒登場
フェリーターミナルと奥尻のご当地キャラ「うにまるくん」がお出迎え!
また、お出迎えしてくれたのは「うにまるくん」だけではありませんでした!
今回、レンタカーでお世話になる「かもめトラベルレンタカー」の店主が車で迎えにきてくれました~!!
ありがたい・・・🥹今回は、キャンプ道具なども持っているため、大荷物の僕にとってはまさに女神です🗽
また、島内で使えるクーポン券もいただいちゃいました✌️(2024年8月当時のサービスです)
本当に至れり尽くせりです☺️
そんでもって、今回、僕の相棒となるレンタカーはこちらです!🚗
ダイハツの「ムーヴ」です!
いつもの自家用車(バディ)である「カローラフィールダー」と比べると、大分小振りなサイズではありますが、一人旅には十分なサイズです👍
それに奥尻島内は、結構狭い道が多かったので、軽自動車サイズで大正解でした!
さぁ、レンタカーを借りたら、まずは本日泊まるキャンプ場に向かいましたが、道中フェリーからも見られたあの観光スポットが!
「なべつる岩」です!!
いやぁ~不思議な形状ですよね~🤔
よ~く見てみると、ところどころ苔むしていて、その佇まいに悠久の歴史を感じさせます。
また、夜になると、この「なべつる岩」、ライトアップされるんです✨
その姿はまた後ほど~。
○キャンプ場到着!
「なべつる岩」を後にして、車で数分、今回のキャンプ場「うにまるキャンプ場」に到着しました!!
こちらは無料のキャンプ場で、車の乗り入れも可能な場所となっています!!
また、炊事場やトイレもしっかり完備されています!!👍
ただ、コンビニやスーパーがある町の中心部(奥尻地区)からは数km離れていて、最寄りの自動販売機も徒歩10分くらいのとこにあります。
ですので、食料などの買い忘れがあると、ちょっと面倒くさいですかね💦
ちなみに「うにまるキャンプ場」の中にはこんなものが!
「うにまるモニュメント」です!!
これまた不思議なモニュメントですこと~😮
奥尻島は確かに「ウニ」が特産品ではありますが、こういったモニュメントまで作ってしまうところに、奥尻島民の「ウニ」にかけるひとかたならない思いが伝わりますね😄
とりあえず、テント設営完了でございます!!🫡
○ランチタイム
お昼になりましたので、お昼ご飯と行きましょう!🍽️
今回お昼ご飯をいただくお店は、「お食事処 潮騒」です!!
店内は古き良き定食屋という風情。
メニューを見たところ、「イカ定食」🦑があったのでそれを食べたかったのですが、この日は残念ながら材料なし😢
代わりに注文したのは「冷やしラーメン」です。
「冷やし中華」ではないんだぜ、ベイビー。
違いはよくわからないぜ、チェケラ⭐️
この日は太陽が隠れていましたが、茹だるような暑さ🥵
そんな日の「冷やしラーメン」は、もう箸が止まらない。
往年の永谷園のお茶漬けのCMを思い出すような爆食いぶりです😋
あっという間に完食です🙏美味しかったどぇす👍
○奥尻島津波館
青苗地区には、奥尻島を代表する観光スポット、といっていいのか分かりませんが、重要な施設があります。
その名の通り、1993年に起きた「北海道南西沖地震」とそれによる津波の凄惨さを今に伝える施設です。
地震大国である日本。2024年にも新年早々、能登半島地震が起き、未だ被災地の復興が進んでいません。また、8月にも宮崎県沖の日向灘を震源とする地震も起き、南海トラフとの関連を指摘されるなど、地震の脅威がますます身近なものになっています。
そんなこともあり、奥尻島に来たなら、必ず訪れたい!と思っておりました。
館内に入ると入館料を払い、自由に展示物等を見て回れるのですが、希望すれば、学芸員の方の解説を聞きながら見ることができるとのこと。
せっかくなので、解説をお願いしました🙏
解説をしてくれた学芸員の方は、実際にこの地震の被害に遭われた方でした。
個人情報なので詳細は伏せますが、この方は当時、青苗地区の海沿いの職場で働いていたとのことですが、この地震と津波により、職場の建物は跡形もなく破壊されてしまったとのことです。
住居は青苗地区の高台にあり、地震は夜に発生したため、津波に飲まれることはありませんでしたが、もし、勤務時間中に地震が起きていたら・・・とおっしゃっていました。
(推定)がついているのは、当時奥尻島には震度計がなかったためとのことです。
ただこの震度の基準も当時の基準によるものであり、現在の基準に引き直すと、震度7に相当します。
その強い揺れによって起こされた津波は、時速500kmという速さで奥尻島に到達しました。
奥尻島の北部に位置する稲穂地区の被災者の話では、地震自体が数分にわたり続いたため、戸外への避難などできず、やっと揺れが治まり玄関を出たところ、もう目前に黒い壁のような波が押し寄せて来ていた・・・とのことです。
この地震での死者・行方不明者は198人に上ります。
特に奥尻島での被害が甚大だったわけですが、そうなった理由は、その地理的状況がありました。
この地震による津波は奥尻島だけでなく、北海道本土の南西側沿岸部も襲ったのですが、本土に衝突した津波が跳ね返って奥尻島に第2波として到達していたとのことです。
また、島周辺の海底の地形の影響もあり、四方八方から波が襲ってきたようです。
地震が起きた際、車で高台に避難しようとする方が多くいたらしく、その結果渋滞が発生して避難が遅れた方がいました。
現在、奥尻島ではその過去の苦い経験を教訓としていて、島内を見てみると住宅の近くには至るところに高台への避難路が設けられています。
甚大な被害を受けた奥尻島。
離島という環境で物資の運搬も大変だったようですが、全国からの支援と協力により、復興が進み、地震発生の5年後である1998年には「完全復興宣言」が出されました。
とてつもない早さですね。
「津波館」の外には、慰霊碑「時空翔」があります。
真ん中に窪みがありますが、地震が発生した日である7月12日に真っ正面に立つと、夕陽がこの窪みの中に沈むようです。
「時空翔」の奥に見える海、この日は曇り空だったということもありますが、その波しぶきがあの津波を想像させ、どこか恐怖を感じました。
今回、実際に被害に遭われた方のお話を直接聞くことが出来て、非常に貴重な経験をさせてもらいました。
自然災害の恐ろしさ、生々しい被害の有り様、そして復興の軌跡。
全てを見て、触れてきた方からのお話ですので、その重みが違いました。
現在、能登半島周辺では、年明けの地震による復興が進んでないばかりか、豪雨災害も起きてしまい、被災者の方はとても辛い状況下にあるかと思います。
外部にいる僕らが被災者の皆さんのためにできることは限られています。
ですが、被災地に思いを馳せ、募金等で支援することはできます。
この「奥尻島津波館」を訪れて、僕もできることをやってみようかなと思いました。
どうしても取り扱う題材が題材なだけに、決して楽しい気分になるようなスポットではありませんが、日本に住む以上切り離すことのできない自然災害について考えるきっかけになります。
もし、奥尻島に来ることがあれば、観光やアクティビティを楽しむのもいいですが、是非こちらもスケジュールの候補に入れてみてください。
そして、訪れた際には、解説をお願いしてみてください。
きっと一人で展示を見るよりも、より有意義な体験になると思います。
さぁ、今回はここまでです!
次回は、テレビでも紹介されたことがある温泉に浸かります♨️
それでは次回をお楽しみに~。
バイバイ👋