エゾシカ放浪記

北海道在住のアラサー男子のブログです。北海道内をぶらぶらしたり、思いついたことを縷々語ります。

【青森遠征⑦】ミステリアス陸奥・下北〜歴史のミステリーを追え〜

こんにちは!エゾシカです!!🫎

すっかり、青森紹介ブログになりました当ブログ🤣

(日頃は、北海道内を渡り歩いています💦

まだまだ、青森旅は続きますので、今後もお付き合いいただけると幸いです🙇

 

さて、前回はテントが壊れるというアクシデントに見舞われながらも、「酸ヶ湯温泉」に浸かったり、ご当地グルメ味噌カレー牛乳ラーメン」を食べたりしました!

(前回の記事はこちら)

ezo-shika.hatenablog.jp

 

今回は、青森市内の様々なスポットに訪れてみます!

今回もどうぞよろしくお願いします🙇

 

 

青森市八甲田山雪中行軍遭難資料館」

青森旅3日目の朝☀️

宿泊しているルートインの朝食バイキングで幕開け。

朝カレーがとても嬉しい🍛

気分はさながらイチロー⚾️

 

さて、地獄で会った仏(ルートイン)とも別れを告げて、本日の旅を始めましょう!

ありがとう!!「ルートイン 青森中央インター店」!!👋

ベッドで寝られてよかったよ~😂

 

そんな「ルートイン」から車で約10分ほど。

本日最初の目的地に着きました!🏁

青森市雪中行軍遭難資料館」です!

ご存知の方も多いかと思いますが、こちらの施設は、“山岳史上最大の遭難事件”として知られる八甲田山雪中行軍遭難事件」についての資料が収められた資料館となっています。

センセーショナルな事件なので、この事件のことは何度も聞いてきたこともあり、前々から興味がありました。

なぜ、こんな悲劇が起きたのか、見ていきましょう!


館内に入るとエントランスがあり、その奥に展示室がある構造で、資料室から先は入場料がかかります。

ここで一つ失敗したのが、展示室内は有料エリアだし、「写真撮影OK」という表示もなかったので、資料の写真を撮っていなかったのですが、どうやらここでは全面的に写真撮影OKっぽいです(公式サイトより)。

しまった🤦

とても貴重な資料ばかりで、ぜひ皆さんにもお見せしたかったんですが・・・。

まぁ、実物はぜひ、皆さんの目で見に行ってください☺️

 

というわけで、ほぼ文字だけでお伝えしますが、まずはこの事件の発端。

当時、日本は日清戦争を終え、次なる仮想敵としてロシアを挙げており、ロシアが日本に攻め込んでくる想定をしていました。

その侵攻で、青森県の沿岸沿いの鉄路が塞がれた場合、極寒の冬場でも、ソリによる物資の運搬が可能なのか、それを確かめる必要があったのです。

そこで、日本陸軍青森歩兵第5連隊の雪中行軍訓練が行われた、こういう経緯になっています。

 

その雪中行軍訓練の途上において、八甲田山の猛吹雪に当てられ、大惨事が起きるわけです。

館内の資料には、1日ごとの経過が記されているんですが、これが読んでいると(色々な意味で)疲れる・・・。

一人、また一人と消えてくんじゃなくて、1日でごっそりと落伍していくのが分かり、ちょっと読んでて辛くなっていきます・・・・・・。

最終的には、210名いた隊員の内、199名が死亡したという衝撃の結末。

 

なぜ、こんな事態が生じてしまったのか?

それは複合的な理由によるものらしいですが、まずは、過酷な気象条件が挙げられます。

事件当時、シベリア寒気団が日本列島を覆っており、青森では例年より8℃~10℃くらい気温が低く、八甲田山付近は零下20℃を下回る環境だったと推測されています。

 

また、青森の環境に不慣れな隊員が多数だったことも挙げられます。

5連隊の隊員の大多数が、青森県外出身者だったようです。

というのも、岩手県宮城県出身者などを中心に編成していたのが第5連隊で、青森県出身者は後述する31連隊に編成されていました。

いくら同じ東北地域とはいえ、八甲田周辺の冬場の環境の過酷さは、他と一線を画するものがあるため、不案内の者がおいそれと立ち入れる環境ではなかったと思われます。

 

そして、その不慣れさから関連して生じた原因として、八甲田周辺の環境への軽視があります。

5連隊が立ち寄った場所で、地元住民に道案内を打診されたようですが、それには及ばないということで断ったようです。

その結果、同じ場所をぐるぐる回ったり、道に迷ってしまうことになってしまいました。

また、装備も不十分なものでした。

実際に隊員たちが着用していたコート類が展示されていて、試着も可能だったんですが、まぁ、冬の始まりくらいにならまだ使えるかなってくらいのもので、暴風雪吹き荒れる環境では全く機能しないだろうなというコートでした。

靴も藁(わら)で編んだ靴や革靴を着用する者が大半で、その多くが凍傷を受けてしまったようです。

驚きなのは、凍傷対策として講じられた方法が、唐辛子を砕いたものを足の指に挟み、その上から油紙を巻くという、現代からするとお粗末と言わざるを得ない方法を採っていたということです。

 

こういった様々な要因が重なって、このような大惨事が生じてしまったようです。

一方、先ほど、軽く触れた第31連隊は、第5連隊と同時期に八甲田周辺の雪中行軍を行なっていましたが、こちらは立ち寄った土地の住民からその土地の環境についてよく聞き取り、また道案内をお願いしたということもあり、一人の犠牲者も出さず、無事行軍計画を達成したとのことです。

31連隊は、第5連隊と比較して遥かに小規模の部隊だったということもありますが、どうしても第5連隊と比較して見てしまいます。

やはり、過酷な環境に飛び込むには、それ相応の準備が必要ということがわかりますよね。

今でも、軽装で富士山や羊蹄山に弾丸登山して遭難したというニュースをよく見ます。

今では各媒体で、冬山がいかに危険な場所か注意喚起されている中で、正直、何やってんだよ・・・と呆れて見てしまいます。

資料館のエントランスには、上の写真のような銅像のレプリカがあります。

こちらは、捜索隊が発見した仮死状態の後藤伍長を象ったものです。

立ったまま、仮死状態になっているとは・・・。

この方は、捜索隊に発見された後、息を吹き返し、その後も凍傷の影響を受け両手両足を切断しながらも20年以上生きたそうです。

生命力の強さに驚きですね・・・。

ちなみに上の像の実物は、八甲田山の山間にあるようです。

 

その他にも様々な貴重な資料がこちらには所蔵されています。

僕が驚いたのは、隊員の捜索に冬場の環境に強いという理由で、アイヌの方が駆り出されていたこと😳

(記憶が定かではないんですが、現在の八雲あたりにお住まいの方だったかな・・・)

その方々の尽力もあって、多数のご遺体を発見することができたのだとか。

実は我らが北海道もこちらの事件に関わりがあったんだということに驚きです(ちなみに第5連隊の中には北海道出身者の方もいらっしゃってようです・・・)。


資料館の外には、慰霊碑や遭難者の墓地がある「幸畑墓苑」があります。

僕が訪れた時は、蒸し暑さを感じる初夏。

空調の効いた館内から出ると、汗がじわじわと滲み出てきます。

この墓苑で眠る皆さんを苛んだ凄絶な運命を想い馳せるには、些かかけ離れた環境です。

ですが、今年もまもなく冬がやってきます。

おそらくここら一帯も極寒の地になるでしょう。

ここで眠る魂は、もう寒さを感じず、安らかに眠っていることを切に願います。

www.moyahills.jp

 

ということで、「青森市八甲田山雪中行軍遭難事件資料館」でした。

歴史的価値も高く、非常に勉強になる施設でした。

色々感じ取れることも多いと思います。

明るい気持ちで来れる場所ではありませんが、訪れる価値のある場所です。

興味のある方はぜひ。

 

三内丸山遺跡

続いて訪れたのはこちら。 

三内丸山遺跡です!!

こちらは、縄文時代の大規模な集落跡が残る非常に貴重な遺跡です!!

ここは小学校の歴史の授業でも学ぶ有名な遺跡ですよね~📗

5教科の中では、圧倒的に社会科(歴史)が好きだったエゾシカ🫎

憧れの地でした✨

(ちなみに、6年生の時に転校して最初に受けた社会の歴史のテストの出題範囲が縄文時代で、僕は100点満点採って、秀才転校生現る!的な扱いをされた記憶があります。エゾシカ最後の輝きでした。)

 

施設内に入ると、本来は入場料がかかるみたいですが、この日は夏休みイベントみたいなのが開かれてて、無料でした😆

マンモスうれぴー✌️✌️ 

でっけぇ~縄文土器が刺さっています。

ピサの斜塔みたい😁

前衛的~。

そうそう!

三内丸山遺跡」は、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つとして、世界遺産に認定されています👏

これには北海道も沸きましたよね~☺️

遺跡内は、こんな縄文時代の衣装を着込みながら歩き回ることができます。

大変素敵なサービスですが、クソ暑い季節に着るにはちょっとキツイ🥵

お子さんが着せられていましたが、ぐったりしてましたね😅

 

この遺跡内は、今いる建物、「縄文時遊館のエリアと実際に遺跡群を見ることができる野外のエリア、「縄文のムラ」に分かれます。

まず、「縄文のムラ」に行ってみようと思ったんですが、

決まった時間にボランティアガイドがそのエリアを紹介してくれるようです。

せっかくなので、このガイドさんにお世話になります🙇

ガイドさんは、60~70代のおじいさん👴

よろしくお願いします!!

遺跡っぽいトンネルを通っていきますと・・・

広大なエリアが広がります😆

さぁ、ここから縄文の風に吹かれていきましょ〜✊

というところですが、大分長くなってしまったので、今日はここまで

次回もどうぞお付き合いください🙇

それでは👋